一柱寺についての記事

Wednesday - 18/05/2016 05:07
独特な建築様式を用いており、その姿は水中から伸びるハスの花のようだ。家はこの寺を夢で見たように造り、観音様を祀った。

ハノイ観光のハイライト、「ホーチミン廟・ホーチミンの家」に隣接する一柱寺。一本柱で支えられ、池に浮かぶ蓮の花のような建築と形容される一柱寺は、そのユニークな外観から、フランス統治時代の建物と並び、ハノイを代表する歴史建造物として知られています。

一柱寺が浮かぶ池は「霊沼池(リンチエウ;Linh Chiểu)」と言い、季節になると睡蓮の花が足元を飾ります。この柱は地上からの高さが4m、直径が1.2mあり、上に3㎡の御堂をのせています。御堂の中には「蓮花台」という扁額が掲げられ、八本手の黄金色をした観音像が中央に据えられています。

一柱寺とは、その形状から来る俗称で、この南向かいにある本堂とその脇の祖師堂も含めて、正式名を「延祐寺(ジエンヒウ;Diên Hựu)」と言い、一本柱の一柱寺は延祐寺の楼閣にあたり、この部分のみを単独で「蓮花台」とも呼んでいます。

『大越史記全書』によれば延祐寺は、李朝第二代皇帝リー・タイトン(李太宗;Lý Thái Tông 在位1028~1054)によって1049年に建立されました。リー・タイトンが、観音菩薩に蓮華台の上に座らされる夢を見たため、ティエントゥエ(禅慧;Thiên Tuế)という僧が寺を建立し、湖に石の柱とその上に蓮の形をした塔を立てて観音様を祀り、皇帝の世が長く続くよう延祐寺と名付けたそうです。

一柱寺について、ミンシン会社のツアーを参考していただきます。

一方、レータッダッ(Lê Tất Đạt)という僧が1665年に記した碑文によれば、「唐朝の咸通年間(860~874)の初めの頃、湖に1本の石の柱に支えられた蓮の楼閣があり、中には観音像を配していた。李朝になり、この地に都を開いたが、第三代皇帝リー・タイントン(李聖宗;Lý Thánh Tông 在位1054~1072)には後継ぎが生まれず、度々寺を訪れ世継ぎの誕生を祈願した。ある時、帝の夢に赤ん坊を抱いた観音菩薩が現れ、帝の前に置いていった。その月、妃は皇子を身ごもり、帝はお礼に礼拝ができるように一柱寺の右側にあった延祐寺を増築した。」とあります。

延祐寺建立については二つの異なる説があることになりますが、共に帝が観音様や蓮の花の夢を見ており、独創性溢れる寺の建築様式がこのような夢物語を生み出したのかもしれません。


延祐寺本堂, 撮影:2012年4月8日

八本手の観音像
撮影:2007年8月8日
須弥壇
正式名「延祐寺」と掲げられている。
撮影:2012年4月8日 
三世仏、阿弥陀如来などが祀られている。
撮影:2012年4月8日


ところで、ベトナムには、他にも一本柱の建築物が存在していました。ニンビン省(Ninh Bình)ホアルー(Hoa Lư)に都がおかれていた時に建てられた、現存するニャッチュ寺(一柱;Nhất Trụ)は(建立年981~1005年)、ディン・ティエンホアン(丁先皇;Đinh Tiên Hoàng在位968-979)の娘が自ら柱を立て、周りに経文を記し、柱の上部には、蓮の花をかたどった彫刻があったと言われています。また、李聖宗が1059年、タンロン(Thăng Long)にリンクアン殿(Linh Quan)を建て、建物の前に一本柱の鐘楼を造り、柱の裏側は蓮の花のようだったとありますから、一本柱と蓮の花のモチーフは当時の建築芸術の一つであったと考えられます。

 李朝第四代皇帝リー・ニャントン(李仁宗;Lý Nhân Tông 在位1072~1127)の時代のこと。1080年に「覚世鐘」(Giác Thế Chung:生の目覚めの鐘)と名付けられた 大きな鐘を寺に据えようとしますが、重すぎて持ち上げることができず、鐘は一度も鳴らされることなく、田圃に放置されていました。大鐘には、亀が次第に集 まるようになり、人々はこの田圃を亀の田圃と呼び、またこの鐘のことを亀田鐘(「安南の四器」と呼ばれた宝物の一つ。)と呼びました。その後、明軍が攻め てくると、この鐘は壊され武器として再利用されました。

現在、延祐寺の本堂は蓮花台の南側にあり、これまでに何度も改修が重ねられたことがわかっています。

その長い歴史において、延祐寺が最も華やいでいたのは、12世紀のようです。ハーナム省(Hà Nam)にあるロンドイ寺(龍隊;Long Đọi)の碑文『大越国李家第四帝崇善延齢塔碑』には、「霊沼池の中に石の柱を立て、柱の上には千枚の花びらを持つ蓮の花が咲き、その中に安紺 殿がある。中には能仁(釈迦の意)を配す。建物の左右には廊下があり、そのさらに外側には左右対称に碧疏池(青く澄んだ池)があり、太鼓橋がそれぞれにか かっている。その前には、左右に瑠璃宝塔が建つ。毎月1日の朝早く、また毎年春に、王は御車に乗り寺へ精進料理を召し上がりにおいでになり、水盤で観音像を洗われた。」とあります。碑文からすると、現在よりも蓮花台は立派でかなり大きかったことがわかります。

『大越史記全書』には、1249年に全面改修が行われ、その後の黎朝では何度も繰り返し修復をし、柱やその上の台が縮小されたとあります。また、1838年には廊下、鐘楼、三関門を修復したとありますから、この時点でもまだ現在とはかなり異なる形状であったことがわかります。

現在見られる延祐寺は、18世紀中頃のものであるとされていますが、このうち蓮花台は、これ以前の建物が1954年の抗仏戦により損壊してしまい、翌年、文化省がグエン朝(阮;Nguyễn)の時代の様式に倣って建てた比較的新しいものです。優美で詩情あふれる佇まいと木造建築技術が結集した独創性あふれる歴史建造物であることから、1962年4月28日文化省により、ベトナム初の歴史建築芸術遺産に指定されました。

蓮花台の北側には、ホーチミンが首相在任中にインドを訪れたのを記念し、1958年にラージェーンドラ・プラサード(Rajendra Prasad)大統領から贈られた菩提樹が植えられています。

 霊沼池に浮かぶ一柱寺
撮影:2012年3月7日
 
一柱寺の背後にある菩提樹
撮影:2012年6月16日 
何か曰くがあるのか、
仏像の頭部だけが祀られている。
撮影:2012年4月8日
 
 延祐寺の三関門
撮影:2012年3月7日
前の通りは”一柱寺通り”と名付けられている。
撮影:2011年7月13日

記事作者: Minh Sinh

情報源: http://hanoirekishi.web.fc2.com

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